志木サテライトオフィス10年の経緯にみる日本型テレワークの基盤作り〜コミュニティオフィスの展開とその将来構想〜

Social Infrastructure of Telework in Japan throughout the 10-year History of Shiki-Satellite-Office: Importance of Community-Offices in Japan

柴田郁夫
Ikuo SHIBATA
青森大学 経営学部 産業学科/志木サテライトオフィス・ビジネスセンター
Faculty of Business Administration, Aomori University  Shiki Satellite-Office Business Center Inc.  E-mail:shibata@aaa.letter.co.jp URL:http://www.telework.to/

Abstract: Since May,1988 Shiki Satellite-Office has been operating as Japan’s first satellite office and Community-Office. At first the employees of several major corporations used this office, but since 1991 this office’s main users have been the persons who live nearby in the community. Housewives work as a researcher, community-entrepreneurs start their business here, and the students use the booths for improving their business sense. We can find here one of the future image of Community-Office, and then think the social infrastructure of telework in Japan throughout the situation of Shiki-Satellite-Office.
キーワード:コミュニティオフィス,サテライトオフィス,日本型テレワーク,起業,SOHO
Key-Words: Community-Office, Satellite-Office, Japanese Telework System, Entrepreneur, SOHO

1.はじめに

 志木サテライトオフィスは、19885月に開設され当初は大手企業社員にとっての実験的な職住近接オフィスとして機能したが、バブル崩壊の時期を経て、その後は近隣に住む起業家やフリーランス等の自営者が活用するオフィスとして機能している。日本初の本格的サテライトオフィスとして出発した志木サテライトオフィスの10年の歩みと変遷を振り返る事を通じて、将来に向けての“日本型テレワークの基盤づくり”に向けての提案を、とくに地域内オフィス(コミュニティオフィス)という観点に着目して論じる事が本稿の目的である

2.志木サテライトオフィスの沿革と現在までの経緯

 まず以下に、志木サテライトオフィスの開設以来、現在に至るまでの簡単な沿革(歴史)について記載する

2.1 開設時期と立地

 志木サテライトオフィスは、およそ10年程前に金融、建設、情報等の異業種の大手企業5社が集まった研究会「志木サテライトオフィス研究会」(以下「研究会」と略す)によって開設された。東京への一極集中が大きな都市問題として取り上げられていた昭和末期(63)、ちょうどバブル経済がその絶頂期を越えた頃のことである。
 
オフィスの所在地は埼玉県志木市。交通の便は山手線池袋駅から東武東上線で30分弱の柳瀬川駅より徒歩約1分。駅前に立地する6階建てビルの4階に約110坪(330平方メートル)の延床面積で開設された。
 柳瀬川駅は、
20年程前に約3,100世帯12,000人強が居住する志木ニュータウンが開発された際に新規に設置された駅で、20階建ての高層住居棟もあるニュータウンのちょうど要の位置にある。その駅前ビルは複合商業ビルとなっており、銀行(1階)、スーパーマーケット(1~2階)、書店、電気店(3階)、ゴルフスクール、CATV会社(4階)、スポートジムとプール(5~6階)等が入居している。志木サテライトオフィスはそうした首都圏郊外の住宅地内に開設されたわけである。

2.2 大手企業によるサテライトオフィス勤務実験期間

 志木サテライトオフィスの開設当時は東京の地価が空前の値上がりを示していた時期でもあり、オフィスを都心部から移して住まいに近い郊外にもってこようという「職住近接」の発想を現実の形としたサテライトオフィスは、マスコミでも大々的に取り上げられた。たとえば一流企業のサラリーマンが"痛勤"電車に乗らないで徒歩5分で出社できる。昼はその気になれば妻や幼い子供と自宅に帰って食事をとることも可能。夕方は階上のジムで汗を流して帰宅しても子供たちと十分にコミュニケーションの時間がとれる。そんなライフスタイルがテレビや新聞雑誌等のメディアを通じて何度も紹介された。1
 実際に、サテライトオフィス勤務の実験に参加した大手企業の社員は約十数名。プロジェクトの立案やソフト開発、広報関連の業務、また女性の契約社員による情報誌の紙面作りといった業務が、本社から離れたサテライトオフィスで行われた。
 
開設(19885月)から2年8ヶ月間、198912月までの間、志木サテライトオフィスは「研究会」が実験を行うという形で運営され、実際にサテライトオフィスで業務を行った社員からはインタビュー調査等を通じてサテライトオフィス勤務の感想等が抽出された。
 実験は1期、2期とに分かれて行われたが、実験の後半にあたる第2期実験に参加した
15名の勤務概況を記すと以下のようになる。(以下のデータはいずれも1年間のもの)2
  勤務日数実績:279日(1人平均18.6日)   延べ勤務時間2,171.9時間(1人平均144.8時間)

 週に2~3日のサテライトオフィス勤務を行った社員もいたが、多くの実験参加社員は週1日以下の利用で、1年間で1~2日しか利用しなかったという社員も2割ほどにのぼった。
 
なお、この当時の志木サテライトオフィスの平面計画は以下の【図1】3のような形のものであった。鍵がかかるドア付きの部屋が11室(うち2室は倉庫と更衣室の為オフィススペースは9室)で、その内の6室が大手企業の社員によって使用され、3室は地元の企業やコミュニティ人材への賃貸ブース(2期実験からは鍵付きの区切られた1室をオープン型のブースに変更)として使用された。
 共同の会議室やコピー・fax及びPBX(構内交換機)設置室、それに異業種交流スペースがパブリックなスペースとして設けられており、ワークスペースとして利用された部屋内のスペースは全体の約6割程という平面計画であった。

【図1】志木サテライトオフィスの開設当時の平面利用図

2.3 サテライトオフィス賃貸業としての運用

 「研究会」による実験が終了したのち、1991年1月から2年間にわたって志木サテライトオフィスは、実運用のサテライトオフィスとして株式会社志木サテライトオフィス・ビジネスセンターが運営を引き継ぐ形で、ほぼそのままのファシリティで存続された。
 同社は、実験期間中からオフィス運営の一部を「研究会」からの委託という形で担っていた筆者が代表を務める地元中小企業で、とくに研究会に関わっていた大手企業と資本面等での関係はない。同社のオーナーである筆者が研究会と協議の上、引き続き研究会参加企業がサテライトオフィスとしてのスペース利用を継続するという前提で、実運用化(ビジネス化)に踏みきったものである。
 6階建ての複合商業ビルのオーナー企業から
110坪のスペースを一括して借り、それをサテライトオフィスとして利用するテナント企業に1室ごと貸していく。そのような形態での事業は、共同利用型サテライトオフィス賃貸業と呼べるが、これは日本における初めての事業化の試みであった。
 
しかしながら、このような形態でのビジネス展開は残念ながら以下のような経緯で、2年間でその幕を閉じることとなる。
 事業の開始時点では、実験期間中にサテライトオフィスを利用していた大手企業が、そのままテナントとしてオフィス内の5室を借りる形となっていたが、折からのバブル崩壊の時期にあたり、
2年間の契約期間中にも歯が抜けていくようにテナント企業が契約を解約していった。
 運営企業(志木サテライトオフィス・ビジネスセンター)側では、スペースレンタル業としての採算性の悪化を補填すべく、
2年間の間に以下のような方策を講じた。1)サテライトオフィスとしての利用企業の勧誘(研究会参加企業以外の企業等への参画の要請)、2)とくにサテライトオフィスとしての利用に限らない地元企業のテナント誘致3)コミュニティの人材へのスペース利用の働きかけ4)スペースレンタル業以外への展開、といったビジネス上の模索である。
 
1)に関しては、サテライトオフィスの展開が広く企業に普及しなかったために、成果を得られなかった。複数の企業に営業(サテライトオフィス利用の 【図2】地域コミュニティとの関連を示す1991年前後における構想図勧め)を行った際に指摘された事柄は、そもそもサテライトオフィスや在宅勤務という勤務形態の必要性が理解できないというものが大半であったが、一部その意味を理解した企業にあっても、サテライトオフィスが1箇所(志木)にしかないというのでは社員に対しての公平性を欠くといった立地面での問題、就業規則等の制度上の整備を行なうことが面倒であるといった問題などが難点となって新たなサテライトオフィス利用企業は発生しなかった。
2)に関しては2例ほどの成果があがった。1例は地元のデータ入力企業が約10坪の部屋を半年間ほど利用した事例である。これは短期的なデータ入力の仕事をこなすための一時利用という形態であり、約10数名の女性スタッフを新規に募集して常時7,8名が作業を行う形で業務が行われた。志木サテライトオフィスが主婦層にとっては立地的に働きやすい事からスタッフ募集時には就業希望者が多く集まった点が、その地元企業にとってはメリットであった。2例目は2名で会社を起こしているパソコン販売や情報系コンサルタントを業務内容とする有限会社が部屋の一部を利用したという事例である。こちらの場合にはスタートアップ時に廉価に利用できるスペースとして志木サテライトオフィスを活用した事例として捉えられる。
 
3)は、具体的には志木サテライトオフィスを「働く場」だけではなく、コミュニティの人達が「学ぶ場」に、また日々の「暮らしをサポートする場」にしようとした試みであった。当時の構想を示す図を【図2】4に示すが、“学”としては「サテライトオフィス大学」という名称のもとに高齢者介護講座や女性就業支援講座、サロンコンサートといった催しを企画し開催した。また“暮らし”の面では「ステラネット」と称して家事代行や子供や高齢者の世話、リサイクルといった面での労力および物品、情報の地域型での交換の仕組みを企画し、一部立ち上げた(「ステラ通信」という情報誌を配布してネットワーク化を呼びかけた等の動きを行った)が、こ れはビジネスというよりは、NPO的な活動に近いものであり、経済的な問題から十分に推し進めることができないままに後述するような次のフェーズ(2.4以降参照)へと移行しなければならなくなった。
 4)に関しては、現在にまで続く志木サテライトオフィスのビジネスとして継続して行われているものであるので次項以降に改めて記述するが、結論から言えば上記のビジネスは1)4)をすべて合わせた形でも110坪のスペースを必要とするだけの広がりを持ち得なかった。複合商業ビルのオーナー(大家)との間での2年間の契約が切れる1992年末をもって、開設以来の広さの志木サテライトオフィスのスペースは手放すこととなる。

図2】<企業社会と地域コミュニティをつなげるサテライトオフィス>


2.4 地域人材の活用とビジネス展開

 1993年からは、それまで用いていた約110坪11室のスペースのうちの最も面積の大きい1室(48.5平方メートル)のみを残す形で志木サテライトオフィスを存続させた。(平面プラン【図4】を参照)
 サテライトオフィスとしてスペースを借りる企業がいないという状況のもとでは、とても110坪のサテライトオフィスを存続していくことができなかったわけであるが、前項の4)にあたるスペースレンタル業以外のビジネス展開に関しては、少なくとも存続させた15坪程度のスペースは必要であると考えられた。
 現在にまで存続している株式会社志木サテライトオフィス・ビジネスセンターとしての業務内容の柱の一つは「ビジネスサポート業」である。これはデータ入力とアンケート集計業務、テープ起こし業務、報告書や機関誌の編集・出力・製本業務、マーケティングリサーチ(アンケートやグループインタビュー調査の実施とそのまとめ)業務等といったもので「対事業所向けサービス業」の中の一分野と位置づけられる。
 これらの業務を行うにあたっては、サテライトオフィスが志木ニュータウンを中心とした郊外住宅地帯に立地するという点を活かして、近隣の主婦層(主として40〜50歳代の事務経験が豊富な層)がその業務の担い手の中心となっている。
 実は実験期間の初期の段階から、周辺に居住する人材の発掘に志木サテライトオフィスでは力を入れてきた。実験が立ち上がった1988年の秋には、周辺世帯(主として志木ニュータウン)に「今までにつちかった技量を活かして仕事を行いませんか」といった主旨のチラシを配布して志木サテライトオフィスへの登録人材を募ったところ、反響が大きく1〜2ヶ月の間に150名以上の登録者が集まった。
 【図3】は、1990年12月時点での登録者総数324名の年齢および職業の内訳を示したものであるが、年齢では36〜40歳が約3分の1でもっとも多く、次いで41〜45歳、31〜35歳の層が多くなっており、また主婦が8割以上の構成比となっている。子供がまだ幼くて仕事はしたくても都心部までは通えない、また年齢制限があり人材派遣スタッフとしては通用しない、といった層が職住近接型のオフィスで事務作業を中心として仕事をしたいという希望から数多く人材登録をしてきたと見ることができる。
 登録者の中には各種の資格を有している人材も多く、例えば珠算29名、英語検定26名、英文タイプ22名、教員資格21名、ワープロ検定20名、簿記18名、保母14名、翻訳7名、ペン字4名、医療事務資格4名、司書4名、校正4名、秘書検定3名、着付け3名、看護婦2名、薬剤師2名、歯科衛生士2名、栄養士2名、宅建2名、消費生活アドバイザー2名等(いずれも1990年末時点)の多様な人材が登録を行った。また海外居住経験者も10名弱おり、ドイツ語、中国語、ロシア語等に関連した仕事があれば行いたいという希望が寄せられた。
 志木サテライトオフィス側では、例えばマーケティングチームという業務単位を主婦10名程で作りリーダやサブリーダをたてて業務を遂行していくといったように、これらの人材を組織化し、研修を実施してビジネス上の戦力として業務を行ってきた。
 また既述した業務の他にも例えばインターネットのホームページ作成、雑誌記事の要約、学会や研究会の事務局機能、パソコンインストラクター、高齢者にテレビ電話を使ってもらうような社会実験の企画・運営など知的能力が必要とされる業務を行ってきたが、地元では工場勤務やスーパーのレジの仕事はあるが、できればかつてオフィスで働いていた時の能力を再度活かしたり、あるいは知的な能力を十分に発揮したいという思いを持っている主婦たちの活躍の場として地元に立地する志木サテライトオフィスが捉えられたのではないかと想像できる。
 現在時点での業務規模は月々1万円から123万円ほどの給料を得ている人数が30名程といったもので、オフィスで勤務する人材よりは在宅で勤務する人材の方が人数的には多くなっている。最近ではインターネットやパソコン通信を通じての業務のやり取りも多く、業務をこなすワーカーが近くに住んでいる必要性は薄れてきている。地域内にオフィスがあるメリットも以前よりは減少しているといえるが、それでも「納品の際に在宅ワーカーの人の顔を見るとお互いに安心する」といった効果も含めて信頼度、安心度は地域内で業務を行っていることで高まっているといえる。
 また報告書をコピーして製本したり、アンケート調査を封筒につめて何千部も発送する、地域内の主婦や高齢者に集まってもらってグループインタビュー調査を行う、といった物理的にオフィスがあるからこそできる仕事も多く、志木サテライトオフィスは地域のなかの"情報工房"といった観を呈している。

【図3】志木サテライトオフィスへの人材登録者のプロフィール



2.5 起業支援、SOHOスペースの提供

 志木サテライトオフィスでは、実験期間からコミュニティ人材へのスペース提供を行ってきたが、現在はこれをビジネスとして本格的に行うようになっている。
 現状の平面図【図4】でわかるように高さ190センチメートルのパーティションで区切られた4つのブース(各ブースはおよそ1坪程)には、現在企業や個人計4者が入居しており、また現在までの利用者を含めると【表1】で示したように、計10者程がこのスペースを利用あるいは利用を検討中である。(パーティションは1995年の時点で社団法人日本サテライトオフィス協会の調査研究をサポートする形で設置され当初は実験的にサテライトオフィス的使い方がなされた)
 また【表1】以外にも問い合わせや入居を検討した個人、企業は多い。約1坪のブースが保証金、敷金礼金なし、常時接続インターネット専用線付きで月4万という手頃な価格で借りられ、さらに会議室やコピー、ファックス、印刷機、製本器、大型ホチキス等が共同で利用できるという点は、地元起業家層にとっては魅力となる場合も多いと考えられる。
 SOHOと一言で言うが、日本のとくに首都圏での住宅事情を考慮すると物理的な住まいの狭さに起因するホームオフィスの困難さは問題であり、その意味からも近隣にある(駅前立地はとくに好都合)オフィスの需要は高いのではないかと思われる。
 また住宅の物理的狭さだけでなく、心理面の問題を指摘する入居(希望・検討)者もいる。一人でビジネスを立ち上げたり、フリーランスとしての仕事をしていくのは心理的に厳しいので他の入居者やワーカーが近くにいて、朝から業務が行われている共同利用型オフィスのメリットがあるというわけである。実際、志木サテライトオフィスでは入居している起業家同士がビジネスの話をしたり、飲みにいったりといった形で情報交換を図り新しいビジネス展開を模索するといったコミュニケーションが発生しているし、またそこに興味をもって入居している学生の起業家予備軍もいる。
志木サテライトオフィスはコミュニティビジネスの拠点としても機能していると言えるのではないだろうか



【表1】志木サテライトオフィスの約1坪のブースを利用した個人、企業等のプロフィール(一部利用検討者)

利用者 利用者 利用者
大手企業男性社員
(60歳前後)
足を痛め通勤が困難であったため車で20分ほどで通勤(定年退職前の半年間) 約半年間の実験的利用
大手企業男性社員
(50歳前後)
体調を崩し、本社通勤が困難であったため逆方向の空いた電車で通勤 同上
大手企業女性社員
(25歳前後)
本社までの80分通勤が役5分に短縮。 同上
地元男性起業家(40歳前後) 大手コンサル企業を退職し独立スタートアップ時に利用。徒歩5分。社員採用時に広いオフィスへ移る 約1年間
地元男性起業家(45歳前後) 大手デザイン企業を退職し独立スタートアップ時に利用。電車で約1駅。(植裁デザインの有限会社を設立し活躍) 約2年半
(継続利用中)
地元居住サラリーマン(45歳前後) 北陸に本社のある煉瓦製造企業の首都圏営業を担当。電車で一駅。 約2年半(99-6に退去予定)
地元居住フリーランス男性音楽プロデューサー(50歳前後) モバイルを主体としたワーク形態。郵便やfax受信に志木サテライトオフィスを利用。電車で3駅。 約半年間
数名の有限会社(社長は30歳前後の男性) 文具デリバリーの企業向営業を主体に活動。社員の半数が地元沿線に居住。会議スペースを多用。 約3ヶ月(継続利用中)
学生(4年生、22歳、男性) 卒業後は就職よりも企業を希望。専用線環境に魅力を感じて入居。他入居者やビジネスセンターからの仕事も受託。コミュニティビジネスを模索 約1ヶ月(継続利用中)
地元居住の男性起業家予備軍(40歳前後) アクリル加工起業を退職して現在フリー。インターネットを利用した次のビジネスを模索する中で入居を検討。 現在入居を検討中

 

3. コミュニティオフィスの利点と展開可能性

 志木サテライトオフィス10年の経緯からもわかるように、現在同オフィスは主婦層、地元企業家層、大手・中堅企業従業員層、学生層、高齢者層、身障者層といった多様な層が集う場となっている。またブースに入居している男性層の妻や子供達がオフィスを訪れる機会が多いという点も職住近接のオフィスならではの現象となっている。5]
 もちろん単に多様な人材が集えばいいというものではないが、少なくとも従来の都市業務地域と郊外住宅地域といった単一的な区分に対して、コミュニティ内に存在するオフィスは、異なった(オータナティブな)有り方を提示できているという事は言えるであろう。
 本稿では、都市部郊外に代表されるような住宅地内に立地する地域型のオフィスを「コミュニティオフィス」と呼ぶが、以下にコミュニティオフィスのメリットを、とくに個人の観点に焦点をあてて整理してみたい。(企業にとってのメリットや社会全体にとってのメリットももちろん列挙できるわけであるが、それらはテレワークの普及がもたらす一般的なメリットとほぼ同様であり、すでに様々な文献で言及6されている事であるため、ここではコミュニティオフィスに焦点をあて、とくに既述した志木サテライトオフィスの経緯から導かれる事柄を記すようにした)
@家のそばにオフィス空間があることで家族と過ごす時間を増やしたり自由時間をより多く取れるようになる
A自宅で仕事をする際にはとくに要求される自己管理能力(時間利用のルーズさへの対処)がオフィスでは周りに人がいることで自ずと身につく
B自宅勤務の際に生じる家の物理的狭さの問題やまたそれと関連した家族側の心理面での負担増大といった問題に対処しやすくなる
C異業種交流や多様な人材との接点を通じてビジネス上の刺激を受けたり人間的な成長の機会を広げられる
D自らの能力を活かして仕事を得たり、あるいは新たにビジネスやNPO的活動等を始めるときの契機を得やすくなる
E子供が親の働く場を身近に感じ、また見聞できる事を通じて、親に対しての理解を増す事が可能になると同時に社会との接点を作る契機ともできる
F従来会社に目を向けがちであった男性層が地域へ目を向ける契機となり、退職後も地域へ溶けこみやすくなる
G家庭内に被介護者や幼児がいる場合などにはフレキシブルに時間を用いる事が可能となり不慮の事態にも対処が容易になる
 とくに上記のうちでもDに関しては、経済構造の変革と創造に向けての取り組みが重要課題とされる日本の現状においては最も着目されるに値する観点の一つであろう。
 志木サテライトオフィスの賃貸用ブースが近隣に居住する起業家やその予備軍にとってのインキュベーション(孵化器)の役割を果たしつつある事は10年の経緯からも把握できる。また最近ではそうした観点からの入居の問合わせが増加している。ニーズの高まりに対応してインキュベーション的役割を担う必要性が今後の志木サテライトオフィスには今以上に求められてくると予想される。
 そしてそうした役割を技術的にサポートするものがインターネットに代表される情報通信系のツールであると考えられる。
 ABの要素も日本的な住宅事情と深く関わりをもつ点であり、その意味では“日本型テレワーク”を考える際の一要素であるが、本稿ではとくにコミュニティオフィスが有する上記Dの利点を“日本型テレワーク”の基盤を考える際の重要な観点として提起したい。また逆にその観点が今後のコミュニティオフィスが発展していくにあたっての重要な要素であるとも位置付けられる。

4. まとめ

 残念ながら現在の日本において存在する「コミュニティオフィス」の数は極めて少ない。自治体等が地域の諸問題を解決するという観点から公設の地域内オフィスを作る必要性が述べられる事もある8が、それらもまだ提言の段階にとどまり本格的な展開には至っていない。
 志木サテライトオフィスにおける10年間の歴史と(現在進行形である)今後の展開をコミュニティオフィスが全国に増えていく際の越えるべき先行事例として多くの諸氏に捉えて頂ければ幸いである。
 
  参考文献ならびに注記

[1]志木サテライトオフィス研究会,人が生きてビジネスも生きる〜志木サテライトオフィス関連記事集,私家版,1998 各種マスコミメディアに紹介された一連の志木サテライトオフィスの紹介は、上記文献にまとめられている)

[2]志木サテライトオフィス研究会,志木サテライトオフィス報告書U,私家版,1990.

[3]社団法人日本サテライトオフィス協会,通勤混雑のための職住近接を視野に入れたサテライトオフィス等の先行研究の整理と展望に関する調査研究報告書,労働省委託調査,1995(図1はp22の図版を元として加筆)

[4]志木サテライトオフィス研究会,志木サテライトオフィス報告書U,1990.(図2はp262より引用)

[5]高齢者層に関してはかつて上場企業の退職者で近隣に住む人が志木サテライトオフィス・ビジネスセンターの総務社員として雇用されたという経緯があり、それは日経新聞の全国紙でも写真入で紹介された事がある。また身障者層はビジネスセンターへの登録者の中に数名おり、業務を委託したという経緯がある。子供達に関しては、かつての志木サテライトオフィス大学の継続事業として存続している幼児・小学生向け英会話教室が今でも週に1日行われており、その際にはオフィスが子供やお母さん達が集まる場ともなっている。

[6]国土庁大都市圏整備局整備課・通商産業省産業政策局企業行動課・郵政省通信政策局情報通信利用振興室・建設省都市局都市政策課監修,テレワーク白書98,社団法人日本サテライトオフィス協会,1998.(p13にはテレワークの期待効果として社会にもたらされる効果、企業にもたらされる効果がまとめてある)

[7]通商産業省,経済構造の変革と創造のための行動計画,1998.(「新規産業の創出及びわが国における魅力ある事業環境整備の推進による良質な雇用機会の確保を含めた活力ある産業の発展の実現」が必要であると言及される)

[8]社団法人日本サテライトオフィス協会,公設サテライトオフィスの整備・推進に関する調査報告書,工業立地適正化等調査(分散型オフィス整備推進調査),1997.