「中国古都めぐり」レポート(1999年8月28日〜9月6日)
先般9月6日、第9次中国プロジェクトの中国旅行が終了しました。みな無
事に帰国しました。参加者は、松岡夫妻、栗原さん、それに私の4人でした。
訪問先は、上海、開封、洛陽、西安それに北京の5都市でした。
道中、思わぬハプニングにみまわれたり、意外な出会いがあったりの10日
間でした。報告も兼ねて、あれこれ私が感じたことを記しておきます。
1「3ヶ月で上海は変わる、1日で西安は変わる」
私は今年5月に上海を訪問したんですが、変化のスピードは想像以上に早
く、またまた上海は変わっていました。繁華街の南京東路は地下鉄工事が進め
られ、車道は歩行者専用に変えられ、あちこちで工事が行われていました。
では、古都西安はどうかというと、秦の始皇帝稜や兵馬傭が世界遺産に登録
されたために、またたくまにきちんとした施設ができ、みやげ物屋ができてお
りました。現地のガイドいわく、西安は一日で変わる。
2「10年ぶりの邂逅」
88年に景徳鎮を訪ねたとき、広州から景徳鎮、杭州、上海とずっと一緒
だったガイドの劉耕さんと洛陽で再会をはたしました。河南省洛陽出身の劉さ
んとは、列車の中やマイクロバスのなかで中国の将来や日本のことを語りあい
ました。次には是非洛陽に来てくれという言葉が、ここ10年間心に残ってお
りました。今回はまったく連絡もせずに、現地で探したところ、劉さんと会う
ことができました。劉さんからは、馬の唐三彩の置物を頂戴しました。そし
て、こんな言葉を贈られました。「千里送鵞羽、礼軽仁義重。」これは、「友
人に再会するために生きた鵞鳥を連れて千里を旅した。しかし、おいしい料理
となる鵞鳥は友人の家の近くで、羽を残して逃げてしまった。友人には、軽い
羽根しか贈れないが、仁義は羽根よりも重たい」という意味とか。まさに、鵞
鳥の羽より重たい贈りものでした。
3「重慶火鍋を食する」
2年前重慶で食べられなかった重慶火鍋を北京で食べました。北京のは重慶
と違い、半分はふつうのしゃぶしゃぶ鍋、のこり半分が真っ赤な唐辛子いりの
火鍋で、おしどり鍋と呼ばれるものです。牛肉、羊肉、太刀魚、鰌などをしゃ
ぶしゃぶで食べました。まさに体じゅう火事で、汗はたらたら、口のなかはお
かしくなり、もう大変でした。ガイドが言うには、革命家は四川省や湖南省の
出身が多く、辛いものが好き有名とか。彼らは、日中戦争中もたえず唐辛子を
持ち歩いたとか。それを聞いてみな、うーん革命家にはなれないなあ。そして
翌日、未明からひどい下痢になりました。革命家はトイレにも強かったようで
す。
4「上海人と北京人」
長江の北と南ではやはり文化が違うようです。南と北では、互いに反目が目
立ちました。上海で儲けた金のすべてを北京政府にとられたという意識は根強
いようです。そのためか。上海人は北京の人を快く思っていないようです。私
たちのツアーにずっとついてきた上海のガイドの藩さんは北京ではホテルの予
約が彼ひとり入っていませんでした。上海と北京の間は、日本が考える以上に
遠いようです。
次回は来年連休頃、山東省青島から大連、旅順を計画しています。どうやら
今後10次、11次と訪中団をだすと、このプロジェクトは「平成の遣唐使」
になりそうです。ちなみに、遣唐使は260年ほどの間、長安(現西安)に2
0回派遣されたと記禄されています。実際のところは、中止になったり、唐か
らの使節を送り届けたりで、本当に実施されたのは12、3回だったそうで
す。
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