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津軽通信 番外編  
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          SASメーリングリスト[sas 1320] 津軽通信番外編 第3のイタリア雑感より

黒田です。熊野での全国大会の後、九州をまわって青森に戻ってきた途端、今度はイタリアに1週間でかけてきました。ミラノ、ボローニャ、コモを訪ねる旅です。一昨日帰国し、まだ時差に体が慣れていません。授業が始まっても、なんとなく体はまだイタリアで、しまりのない話を講義でしております。困ったものです。
ところで、今回訪問した都市は、ロンバルディア州、エミリア・ロマーニャ州に属します。これらに、トスカーニャ州(フィレンツェ)やベネト州(ベネツイア)を加えると、ユニークな中小企業が集まっているところとして有名です。ミラノはミラノコレクションで有名なファッションのマチであり、コモは絹織物です。フェラーリの工場はエミリヤ・ロマーニャ州にあります。靴のフェラガモはフィレツェ、あの鮮やかな色づかいのベネトンはベネト州にあります。これらは、第3のイタリアとして知られ、中小企業に関心のある者ならアメリカのシリコン・バレーとならぶもうひとつの中小企業発展のモデルとしてよくとりあげられます。
そんなわけで、きちんとしたアポも取らずに、ともかく行ってみよう、現場のにおいを嗅ぎに行こう、ということになりました。ほんと、いいかげんな旅です。
今日はそこで感じた2、3のことについて報告させていただきます。津軽通信番外編としてお楽しみください。

津軽通信 番外編 第3のイタリア雑感 

「パトロンが育てるブランド」

コモは、ミラノから特急で北に40分ほどの、スイスとの国境にあります。山あいの保養地です。ミラノの貴族や資本家、つまりお金持ちなら、この場所に別荘を持つのがこのロンバルディア州では夢になっているとか。湖岸の町のコモは、昔から絹織物で有名であり、世界中から生糸を集め、ここで染色し、織り、縫製して、製品にしております。コモの製品は、すぐれたデザイン、微妙な色合い、まねできない織り方によって知られております。コモのどこにでもあるこぎれいなブティックを見ると、これらの店はどうやらお金持ちの店だなということがわかってきました。間口も広くはなく小さな店です。なんとなく入りづらい店です。店内には商品はあまり置いてありません。こちらから言うと、奥からうやうやしく商品を持ってきてくれる、そんな店です。こうした店は、つまりお金持ちご用達の店であり、つまり素人はお断りする店なのです。
今年亡くなった須賀敦子さんの名エッセイに「ミラノ霧の風景」(白水Uブックス、94年)というのがあります。そのなかで面白いことを書いてます。須賀さんが婚約指輪を買いに行くというので 友人から紹介されたのが、ミラノの本通りから入った路地のビルの3階にある宝石店であったそうです。はためには、誰も気づかぬ場所でここに宝石店があるなんて誰もわからない店であったとあります。ところが、この店こそ友人が属するミラノの元貴族で名家の人々が代々買い物していたところだったというのです。にわか成り金は本通りのちゃらちゃらした店で高く宝石を買うけど、ほんとのお金持ちはこうした目立たぬ昔からの店で安く、代々買い続けるというのです。
どうやら、店とか商品とかは、長く愛好して買い求めるパトロンがいて始めて、老舗になれたり高級ブランドになるようです。お金持ちのための、グッチやらフェラガモのなのです。所詮、日本人はお金を持って時間があまりたっていない成り金です。有名ブランドのいいカモになれても、いい顧客にはなれそうもありません。やはり、昔から先祖代々そこの店で買い求めた貴族でないと無理なようです。
ちなみに、フェラーリ博物館には、フェラーリの大ファンであるオランダの皇太子の写真が展示されていました。彼も、フェラーリのいいパトロンのようです。

「ボローニャからの追想」

ボローニャは、最古の大学のある古都です。ローマ法がはじめて講義されたという由緒ある大学があり、今なお学生の街として趣のある観光地でもあります。私は、ここからフェラーリの工場(モデナ近郊)にでかけたり、またボローニャが最近つくった工業団地を見てきました。
しかし、もっと刺激的だったのは、イタリアの時間のゆるやかさでした。まず、働くのは9時から12時まで。昼から3時まで、昼食とシエスタ。さして大きくない町ですので、ほんと店も銀行も大学もすべて閉まり、町全体がひっそりとなりました。そして3時から夜7時まで、また稼働しはじめて、町もにぎやかになります。夜8時になっても外は明るく、晩飯には早すぎます。ようやく暗くなってくる9時頃から晩飯になり、レストランも人が多くなります。
なるほど、なんと言おうが、グローバルスタンダードで忙しくなろうが、このゆったりした時間の流れは変えないというところです。
ところで、日本でも有名な社会学者のロナルド・ドーア(イギリス)は、引退後イタリアに住まいを移しています。その場所は、このボローニャから南に30キロ行った、グリツアーナ・モランディという小さな村です。彼は、午前中までの仕事が終わると、昼下がりには、いつものバー「ピーナ小母さんの店」に出かけるのが日課です。そのバーには、アル中の老人、運転手のフランコ、カストロ髭の男などの常連客が集まり、ビールを飲み、トランプをして、政治談義に耽るとか。また、政治から一転して、新しい
イタリアの料理法、ブドウのでき具合、痴話喧嘩、愛のもつれなど、庶民生活の細かな話がとめどなく繰り広げられるのです。ときには、誰かが60年代のカンツオーネを歌う。ドーアは、何時もその話の輪に加わり、つたないイタリア語でお喋りを楽しむのです。ドーアは、戦後すぐの日本に来て、農村に入りフィールドサーベイをした根っからのフィールド派です。日本語をあやつり、ごはんとみそ汁を食べて、村民らと酒を飲み、農地改革前後の日本の農村の変化を分析した学者です。その彼が、今はイタリアにいて、70歳の人生を楽しんでいるのです。
このグリツアーナ・モランディ村では、15世紀から変わらぬ家並みが残っています。昨日と同じ今日がまた終わると、またいつもの同じ明日が始まっていく、そんな村です。明日、昼になりシェスタになると、村一軒のバー「ピーナ小母さんの店」にいつもの顔ぶれが集まり、お喋りがいつものように始まり、そこにドーアも又加わるのです。
以上の話は、柳原和子「日本学者R・ドーアの戦後50年」(中央公論、95年7月号)からの引用ですが、何度このエッセイを読み返しても、イタリアのたゆとうような時間のリズムがうらやましく思えるのです。
どうやら、イタリアはイタリアであり、昔からちっとも変わっておらず、人がなんと言おうがこのイタリアン・スタイルがいいということのようです。マフィアが捕まろうが、首相が変わろうが、経済がおかしくなろうが、一人一人はシェスタを楽しみ、バーでのお喋りに耽り、政治談義をする。そして、夜は家族でディナーを囲んで、平安な時間を持つ。つくづく、うらやましい時の過ごし方を思うのでした。

「イタリア中小企業の勝者たち」

ロベルト・ナポレターノ、安河内訳「イタリア中小企業の勝者たち」(三田出版会、97年)のなかにユニークな企業家がでてきます。古典哲学を大学で学び、ダンテを詠唱する知識人、元郵便配達夫、元バイク野郎など。いずれも個性的な人達です。
彼らは、家業としてのビジネスから出発しています。しかも、地元を離れたり、他人に経営をまかせたりすることを嫌います。経営の近代化からいえば、おそろしく時代遅れのやり方ですが、実は21世紀を迎える今では、このイタリアのモノ作りがもてはやされているのです。大量生産方式のフォーデイズムに変わるものとして、ピオリ・セーブルは「第二の産業分水嶺」(筑摩書房、93年)のなかで、「柔軟な専門化」としてとりあげ、その事例としてこれら第3のイタリアを分析しています。そして次の時代の
生産方式はこのイタリアのようになるのではと言っております。生活を楽しく、美しくする製品をつくりだすイタリアに学べきことは、まだまだ多いと思われます。
さて、ここまで書いたら昼になりました。私も、今日はビールを飲みながらパスタでも食べるとするか。そして午後はたっぷり昼寝のシエスタを楽しもう。もう少し、私もイタリア人にならないと。では、アルヴェデルチ。
                                                     以上