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津軽通信 パート2
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SAS東京の黒田です。先日授業で青森に行き、その足で八戸、三沢を旅してきました。今回の津軽通信は、そのご報告です。今回旅したのは青森県のなかでも、いわゆる南部地方と呼ばれる地域です。南部人と津軽人は仲が悪い、性格が全く違うともいわれる津軽と南部との関係や、はたまた岩手県と青森県との複雑な関係などを述べたいと思います。うーん、この複雑な地域感情が理解できないと、青森県いや日本の地方はよくわからないのです。

津軽人の典型棟方志功  11月10日月曜 2-1
東北のリゾート王      11月11日火曜  2-2
きらわれものの寺山修司 11月12日水曜  2-3
安藤昌益の八戸      11月13日木曜  2-4
幻の詩人・村次郎     11月14日金曜   2-5
南部人と津軽人      11月15日土曜   2-6

     

津軽人の典型棟方志功

11月10日月曜

7時半に家を出て羽田空港に急ぐ。9時45分発のJASにて青森に向かった。11時には青森空港に到着する。1時間ほどの飛行時間である。かって、青森県には三沢空港ひとつしかなかったが、10年前に青森市内に青森空港ができて以来、羽田との間は便利になった。三沢空港は、米軍基地との共同使用であるため民間飛行機の離発着が制限されていた。また、青森市や弘前市の津軽からはバスで1時間程度かかっていた。こうした便の悪さのために、青森市内の八甲田山麓に飛行場ができたのである。ほんねをいえば、南部にあって津軽地方になぜ飛行場はないのか、そんな感情がつくらせたのである。青森空港からバスで30分ほどでJR青森駅に到着する。とりあえず、今夜宿泊するビジネスホテルに荷物を預けた。

昼食はわたしの行きつけのラーメン屋「鳴海の丸海ラーメン」である。県庁から国道をわたった路地にある。小汚い店である。しかし味がなんともいえずいいのである。スープは煮干しでとった醤油味である。麺はうどんを思わせる太い手打ち麺である。大盛りラーメンを注文すると、チャーシュウの厚切りが3枚どーんと乗ったボリュウム満点のラーメンがでてくる。880円では腹がふくれるラーメンである。煮干しと醤油味のラーメンは青森では一般的である。豚骨の白濁した九州ラーメンで育った私には、煮干しの生臭い香りがなんとも海の潮の香りを思い出させてくれる。少し素朴で、田舎臭い味である。鄙びた老夫婦ふたりがひっそりとやっているのが泣かせるのであった。なぜか足繁く通ってしまうのであった。「ばあちゃん、いつまでも元気でやってね」と言うと、「んだね」との声がかえってきた。

午後はその足で棟方志功記念館に行く。松原のバス亭からすぐであったが、月曜日で閉館であった。前回訪ねたおりにいたく感動したためもう一度訪ねたかったのだが・・・。この記念館は棟方志功の青森県初の文化勲章受賞を記念してつくられた。この美術館は小さな美術館をめざし、彼の業績を年4回展示替えすることで、何回も通ってもらおうという狙いがある。小さな美術館であるため、ほんとにハードはささやかである。

しかし、伝えるメッセージは強烈である。なにせ棟方志功のメッセージだからである。

彼は、明治36年青森市内で鍛治職人の子として生まれた。長島小学校を終え、家業を手伝っていたが、17歳のときに市内の裁判所で弁護士控所の給仕となって働きだした。その間公園で写生をして絵を独学で学び始めた。ゴッホのひまわりの絵(複製)を見て感動し、「わだばゴッホになる」と決意する。21歳の時に上京し、靴直しや納豆売りなどで身を立てながら絵の勉強を続けた。展覧会に何回も落選を繰り返してようやく26歳の時に帝展に入選することができた。その後、版画一本でいくことを決め、版画ではなく板画と命名し、独自の世界をつくりあげていったことはよく知られている。

前回この美術館で見たのは「大和し美し」、「女人観世音板画巻」などであった。手も足も顔もふくよかな女性の裸像が輝いていた。ルノワールの女性の裸像とは違い、垢抜けしない、泥臭い裸像であった。この棟方の板画に描かれた太めの裸婦をみつつ、私は以前八甲田の「酸ケ湯温泉」の混浴風呂でみたオバチャン達を思い出してしまった。

1000人も入るフロに、ぞろぞろふくよかなオバチャンが入っていた。棟方の板画にある、たおやかで、すべてをまるく受け入れる、健康的な女性のイメージは、あの混浴の風呂でみたオバチャン達にあった。彼もよく酸ケ湯に行ったらしいから、ヒントはどうやらその辺にありそうである。たしかにアクの強い板画であるため、好き嫌いがでそうな板画である。しかし一度好きになると、私のようにまた見たくなる板画であった。

ところで棟方志功は、人と話すときはつばきを飛ばし、激情的に話したという。聞くほうはたまったものではない。また板画を彫るときはガラス玉のような眼鏡を板にくっつけて彫った。何事にもエネルギッシュであったという。そばにいるだけで辟易するタイプの人間であったようだ。これが津軽人の典型である。ウーン、私もこんな人と今後付き合うのかと思うと、今から閉口しそうであった。

ホテルに戻り、夜からまた出かけた。いつもの寿司屋「寿司勘」である。昨年からこの寿司屋に通うようになった。ここの店はカウンターに津軽塗りがほどこされている。

そこが気に入ったのである。当然、ホタテだけでなく、いわしやさんまの刺し身がうまい。酒を飲みつつ、相撲の話になった。舞の海は青森県鰺ヶ沢の出身である。県内では人気がある力士である。しかし九州は博多の年上の子連れの女につかまったと、地元では大層評判らしい。

「んだば、親たちはがっくりきてなも、あんな女にと」どうやら、この寿司屋では力士のゴシップで毎晩話に花が咲いているようだ。ところが同じ県の三沢出身の貴ノ浪の話はでないのである。大関ながら、青森市内ではまったく噂にもならないのである。「ありや南部だろ」この一言で片づけられてしまった。ウーン、津軽と南部は根が深いものがありそうである。相撲のトトカルチョや青森競輪の話で夜遅くまで飲んでしまった。