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津軽通信 パート4前編 後編 
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          SASメーリングリスト[sas 1109] 津軽通信パート4前編  より

SASの皆様へ
津軽は青森在住の黒田です。この青森に来て4ヵ月になろうとしています。月に一度くらいは津軽通信を
皆様がたにお届けしようと思っていたのですが、いざ4月から授業が始まってみますと、それどころではありません。毎日の授業に追われ、雑務に追われて、またたくまに一週間が過ぎて、一ヵ月が終わってしまうありさまです。
そんなわけで、筆不精になってしまいました。申し訳ありません。
最近ようやく、少しは心の余裕がでてきましたので、4回目の津軽通信をお届けすることにします。
ご一読いただければ幸いです。

津軽通信 パート4 前編

ある学生との会話


6月20日(土曜)

今日から、合宿授業のために十和田湖畔にある宿泊施設「花鳥渓谷」にでかけた。学生18人と、教師は私を入れて3人である。午後大学前からマイクロバスに乗り、2時間ほどかけて、目的地にむかった。あいにくの曇り空であるが、山々の展望は楽しめる。
八甲田の東山麓にあたる田代平を経て、谷地温泉、蔦温泉を経由し、奥入瀬渓流の入り口で小休止する。学生達は、思い思いに休憩している。そのうちの一人の学生がやってきてこう言った。
「先生、部屋割りですけど、同室のあの人とはあわないので別の部屋にしてください」 最近こんな学生が多い。子供の数が少なく大事に育てられたせいか、人付き合いが下手なのである。このため、いやな教師の授業は最初から出ない、サークルや同好会にも入らない、いつも一人で大学に来る学生である。友人もいないらしい。
「おいおいそんなこと言ってたら、どうするのだ。会社に入ったら、いやな上司、いやな先輩、いやな同僚ともそれなりに付き合わないとだめだぞ」
学生は、そんなこと言ってもききはしないのである。ほんと困ったものである。今日は、ちょうど空室があったので、一人でそこに行けと言った。
夕方には、目的地に到着した。この「花鳥渓谷」はもと国際興業グループが所有していたもので、それを大学の関連会社が購入し、キャンプや合宿所として営業しているものである。しかしながら、10万坪の広大な敷地ながら、毎年かさむ維持費用と宿泊客数の減少で赤字垂れ流しの施設となっている。
夕食後から9時近くまで授業をする。今回の授業は、ベンチャー経営演習である。企業を起こそうとする者に、マネージメントゲームで会社をつくらせ、製品を製造し、販売して、倒産しないようにもっていくものである。いわゆる仮想企業−バーチャルカンパニーである。最後に決算をして、その利益で優劣を競い合う。
ゲームのルールを覚えさせ、ゲームをやらせてみた。そして、損益計算書と貸借対照表を作成させてみた。それなりに楽しそうにやっていた者が多かったが、一部の学生のなかには最初からアレルギーを示している者もいる。
「先生、あたし数学きらいなの。計算できないし、割り算もできない。どっちが分母で分子かわかんない。面倒なのきらい」
最近の高校では、数学は1年までの必修となっており、2、3年では数学は履修しない。計算が全くきらいな者も高校を卒業できる。こんなのはまだかわいいほうである。
「簿記はまったくだめです。高校でもおとしました」
こんな者も商業高校をでているのである。少なくとも簿記くらいは知っていて欲しいのだが。こうした、レベルがあまり高くない者にも、なんとか興味を持たせる工夫が必要なのだが、最近の学生はいやなものは最初から取り組もうとしないし、あれこれいいわけを言って逃げ出そうとしたり、なかにはたぬき眠りをするものもいる。ほんと教えるほうが大変である。
9時前に終了した。みな部屋に戻り、ワールドカップ対クロアチア戦をテレビでみている。「川口!オオ、あああ」、「岡野!!」という叫び声が響いている。ほんと元気である。
私はウィスキーを持参してきたので一人で飲もうかと準備していたら、女子学生と男子学生の2人が一緒に遊びにやってきた。私の部屋で飲むことにした。二人とも、藤女子高(札幌)、函館ラサール(函館)の有名高校を中退し、大学検定試験(大検)をとって入学してきた学生である。
「早稲田に入って哲学をやりたかったんだけど落っこちてしまって。もうどこでもいいからと予備校に相談しにいったら、青森大学があるといわれて。受験番号と名前を書くだけで合格するところというと、ここしかなくて」
「彼とは大検の予備校で同じで。青森には知っているのが誰もいなくて、彼といつのまにか友人になって」
二人とも高校のときにキレテしまって、中退したのである。そのまま勉強していたら、早稲田や慶応には楽に合格できた学生である。勉強ぎらいになって、行くところがなく結局偏差値の低い、しかも英語と数学の試験のない青森大学に来たのである。
私の学生の頃の話を聞かれたので、問わず語りに話した。東大の入試がなくて、受験したこと。横浜国大でデモばかりしていたこと。当時、灘高から入学したのがいて、それがのちの作家高橋源一郎であったこと。沢木耕太郎も先輩にいたことなどである。そして、就職試験を20回以上受けて失敗し、しょうがなく早稲田の大学院に行ったことをである。
「いいな、先生の時代には燃えるものがあって。今はなんにもなくて」
おいおいそんな年寄りじみたこと言ってどうするのだ。これから、あと60年も70年も生きるのだぞ。
「いいな、まわりにそんな人がいっぱいいて。だいいち今の私たちは、これといって議論もできる友人もいないんですよ」
どうも競争率が1.0倍かせいぜい1.2倍の地方三流大学になると、どこも行くところがなくて来た学生が集まっているようである。3次志望、4次志望の大学でここしか行けなかった学生か、勉強が嫌いだけど親から言われて行くところがここしかしかなかった学生である。
そうすると、教師の役割は、まず高校時代に偏差値で輪切りにされて傷ついたこころを癒すところから始めることになる。勉強は次で段階である。
同僚の先生も入ってきて、ウィスキーを飲みながら話す。
「僕も高校中退です。今はバンドやっているんですが、就職のとき不利になりますか」 同僚の先生は、東レの就職課長を長くやり、後に東レ経営研究所の専務になられて、当大学に来られた方である。
「僕は東レで2000人くらいの学生に就職面接であったかな。大検で大学に行った。いいじゃないか、やる気があって。バンドでもいいよ、大学時代打ち込んでいたものがあれば。そうした学生は、就職のとき評価するよ」
こうやって、学生の心の傷をひとつひとつ癒すことからまず始まるようである。私は、哲学志望の女子学生に、こう言った。
「いつでもいいから研究室に遊びに来なさい。最近ベストセラーになったソフィーの世界の英語の本があるから。あの本あげるよ。勉強したいものがあれば、どこにいてもできるよ、うちの大学にいてもできるから」
いつのまにか深夜1時近くまで話し込んでいた。大学もサービス業である。こうやって学生の相談に乗るのも大切な仕事である。教えるだけではないのである。仕事は大変だがまた面白いところでもある。しかし、最近の学生さんはほんと手間がかかる。まるで、高校生なみだなと思うのであった。(以下続く)


津軽通信パート4 後編                  前編
       SASメーリングリスト[sas 1112] 津軽通信パート4後編 より

津軽通信パート4 後編

夏至の一日

6月21日(日曜)

朝食をすませて、早速昨日の続きである。マネージメントゲームの二期目をやる。損益計算書と貸借対照表を作成させる。すぐ計算ができた者もいれば、なかなかできないものもいる。誰でもできるようにワークシート形式になっており、間違いなく計算すればできるのであるが、できない者もいる。簡単な転記ミス、計算違いである。しかし、ちょっとミスしてあわないと、すぐ放り出してしまう。単純な作業に対して、根気と集中力がないのである。3人の教師が、そうした学生につきっきりで教える。
昼食時間になった。昼食後、昨日叫び声をだしていた学生はサッカーをして遊んでいる。元気である。5、6人の学生が無心にボールを追っているのである。面白いことに、そのグループは、さきほどゲームをしていた学生である。なるほど、グループのなかだけの遊びである。他のグループとは、一緒に遊ばないのである。サッカーをしない連中は、何となく同じグループ内だけでおしゃべりをしている。たしかに、人とまじりあうのが得意ではないようだ。
午後、ゲームをやったが、なかには白熱したゲームをやっていたグループもあった。
3時すぎに現地を発ち、市内に戻った。5時に大学に到着した。
くたくたに疲れてしまった。昨夜の酒のせいだけでなく、学生のおもりで疲れたようである。同僚の先生と一緒に、大学から少し離れたサウナに行って疲れをとった。7時過ぎにサウナを出て、行きつけの中華料理店に行った。8時近くなのにまだ明るい。今日は夏至であった。東京と違い、透き通るような日差しであった。湿気もない。まるでヨーロッパのような気候であった。料理店は、横浜中華街で修行をしたコックがつくっているだけにうまい料理であった。

文化果てる地の学生

6月22日(月曜)

今日も休むことなく授業である。
午後から英語の授業をする。教材は、今年2月に亡くなった高橋竹山の死亡記事である。朝日新聞の記事とアサヒイブニングニューズの記事を配って読ませた。全く同じではないが、おおよその意味は同じである。まず、日本語の記事を朗読させる。次に英語を大きな声で読ませる。そして意味をとらせた。なかには、すらすらできる者もいるが、まったくできないものもいる。簡単な英語であるが、主語と動詞がわからないのである。構文が複雑になると、まったくお手上げである。経営学部は、英語が入試で必修でないために、英語がまったくできない者も入学してくる。こうした者に英語を教える。
これも工夫が必要なのである。
私は、まず学生に日本語の文章を大きな声で読ませることにした。語学はまず、日本語ができないと、外国語は上達しない。太宰治は英語が得意であった。三島由紀夫もそうである。たいての文学者は、英語もできる。そこで、私が中学の授業のときに徹底的にやらされた国語の朗読を学生にさせることにした。これがまず基本である。
次に、私は、学生に読ませたり意味をとらせたりするのを三十分までとした。それ以上は集中力がなくなるからである。残りは、ビデオを見せることにしたのである。今日も、竹山のビデオ「寒撥(かんばち)」(RAB開発制作、昭和46年)を見せた。これは竹山が津軽三味線を弾きながら問わず語りに自分の人生を語るものである。青森放送(RAB)で毎週放送されたものである。
このなかで竹山は強烈な津軽弁でしゃべる。彼が、盲になって、修行のために盲目の三味線弾きに弟子入りしたこと、家々を回って唄っては米か金をもらったこと、寒さに震えながら野宿したことなどである。学生は熱心に見ていた。7割が青森県外の学生だけに、津軽三味線を聞いたことがないのである。また、いくら津軽三味線を即興的に弾く曲がジャズの現代性に通じると、英語で読んでも、学生には分からない。まず聞かせることである。そんなことで、ビデオを見せたのである。
そんなこんなで80分の授業もすぐおしまいになるのであった。来週からは、マライア・キャリイのヒーローを読むことにすると、私は言った。
「近くある7月の英語の試験は、マライア・キャリイ、ホイットニー・ヒューストン、マドンナの唄からだすから。この授業が終わったら、CDのレンタル屋さんに行って、この3人のCDを借りに行け、そして毎日聞くこと。いいか」と言ったら、学生達はにやにやしていた。またかという顔である。というのも、前回の5月のテストのとき映画タイタニックを見に行かせて、映画タイタニックについての感想を書かせたのである。今回は音楽、それも米国を代表する女性シンガーの唄である。
授業がおわったら、ある学生がやってきた。
「先生、英語の授業だけど、音楽をテストするんですか」
「いいんじゃない。こんな試験があっても。マライア・キャリイの唄なんか、毎日聞いてたらヒアリングの勉強にちょうどいいぞ。おれの授業よりよっぽど勉強になるぞ」
「先生、CDって今いくらぐらいですか。どこで売ってます。そのキャリイさんとかいうひとのCDは」
おおおお、こんな学生もいるのか。やはりここは僻遠の地、文化果てる地であるようだ。マライア・キャリイを聞く学生はあまりいないのか。まるでこれでは高校生なみだな、とつい思ってしまった。
毎日こうやって授業をしていると、どっと疲れてくるのであった。夜、行きつけの寿司屋で一人で一杯飲んで帰ることにした。飲みながら「所詮、今の学生は高校4年生か5年生。この青森では東京からみると、せいぜい高校1年生か2年生。ということは教えている我々は高校教師なみか。まあそんなもんだろう。まあ、いいか、それならそれで楽しんでやるか」と考えてしまった。
「秋からは、英語にマジソン郡の橋でもとりあげるか。メリル・ストリープがいいかな。いや、ジョデイ・フォスターもいいな。すると映画はあれか。名画だとO・ヘップバーンもいいか、ウーン」と楽しんでしまうのであった。そしてついつい、お銚子も数本重なるのであった。
「大将、お酒もう一本ね、あと赤貝といかほたてね。いつものやつもね」
「あいよ。先生、今日はいけるね」
青森の夜はこうしてふけていくのであった。

追記 今週末は、盛岡にでかけ岩手山に登山の予定です。来週は函館に競馬に行ってきます。その次の週は、八甲田山を登り酸ケ湯温泉に入りに行く予定です。競馬と登山と温泉をたっぷり堪能する計画です。来月に入れば、もう授業もないし、試験があって夏休みになります。ようやく青森を十分遊べる季節になってきました。どうぞ皆様がたも、ご来青下さい。おいしい酒とおいしい魚がお待ちしております。